「誰も見ていないところで」
- kakuwamasato
- 3 時間前
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誰も見ていないところで
誰かに見られている方が頑張れる。
これは事実だと思う。
人は見られていると少し背筋が伸びるし、「サボれない」という気持ちも働く。
だから努力を発信することも悪いことじゃない。
むしろ継続するための良い方法だと思う。
僕自身もそういう部分はある。
でも、長く生きていると感じることがある。
本当に自分を強くしてくれるのは、誰も見ていないところでの選択じゃないかと。
誰も見ていない時でも勉強する。
誰も見ていない時でも練習する。
誰も見ていない時でも約束を守る。
誰も見ていない時でも手を抜かない。
そういう積み重ねは誰にも評価されない。
拍手もない。
「すごいね」と言われることもない。
それでも続けたものだけが、少しずつ自分を作っていく。
努力だけじゃない。
食べるものもそう。
そのご飯は本当に食べたいものなのか。
それとも誰かに見せるためのものなのか。
着る服もそう。
乗りたい車もそう。
欲しいブランド品もそう。
それは本当に自分が欲しいものなのか。
それとも誰かを意識した選択なのか。
もちろん、人の目を気にすることが悪いわけじゃない。
僕たちは社会の中で生きているから。
でも時々、自分に聞いてみる。
「誰も見ていなかったとしても、それを選ぶだろうか」
と。
その答えの中に、自分の本心がある気がする。
誰も見ていないところでの行動は、誰にも見られていないようでいて違う。
一番見ているのは自分自身だ。
だから僕は、
誰も見ていないところでどんな選択をするかを大事にしたいと思っている。





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