「今さら」と思ったところが、たぶんスタート
- kakuwamasato
- 1月17日
- 読了時間: 3分
「当時は無茶したな」
「よく思い切ったよね」
そんな昔話をしているとき、その言葉の奥に、少し誇らしさが混じっているのを感じることがある。
常識を壊した自分への満足感だったり、一緒に突っ走った仲間の顔が浮かんだり。
でも同時に、「あの頃みたいには、もう動けないかな」そんな気配も、どこかにある気がする。
本当にそうなんだろうか。
思い切った行動って、若さがないとできないものなんだろうか。
性格とか、センスとか、才能がないと無理なんだろうか。
最近は、それは少し違う気がしている。
必要なのは、気合よりもスキルで、スキルなら後からでも身につけられる。
実際に動いてみると、「意外と楽しいな」とか、
「なんで今までやらなかったんだろう」そう思う瞬間に出会うことがある。
大きな変化じゃなくていい。
でも、行動が少し変わるだけで、日常の見え方は確実に変わる。
人生って、一つ一つの行動でできている。
考えたことも、口にした言葉も、踏み出した一歩も、立ち止まったことも。
全部、選んだ結果なんだと思う。
名画も、最初は一本の線から始まっているし、
アスリートの動きも、小さな動作の積み重ねだ。
人生も、たぶんそれと同じで、劇的な何かより、地味な行動の連続でできている。
ゴミを一つ拾ったくらいじゃ、部屋は劇的には変わらない。
一回食事を控えたからといって、体が変わるわけでもない。
でも、ほとんど変わらないということは、確実に 少しは変わっているということ。
きれいな部屋は、拾い続けた結果だし、
体も、毎回の選択の積み重ね。
人との関係も、ちょっとした態度の変化から始まる。
うまくやれたかどうかより、今日、何かを始めたかどうか。
最近は、それの方が大事な気がしている。
今、拾えるものはないか。
今、少し体を動かせないか。
今、自分にできる親切はないか。
今、一行だけ書けないか。
そんな問いを持っていると、不思議と、次の一歩が見えてくる。
先のことは、正直よくわからない。
人はどうしても、過去の延長で未来を考えてしまう。
でも、変わっている人をよく見ると、何か特別なことをしているわけじゃなくて、その時できる小さなことを選び続けているだけだったりする。
新しい行動は、新しい服みたいなもので、最初は少し落ち着かない。
でも、その違和感も、続けているうちに、だんだん馴染んでくる。
自分自身がやっていいと許可を出すだけ 新しい行動をすることを自分に許そう
人生って、誰かの許可を取らないと始められないものじゃない。
「やってもいいかも」そう思えたら、それで十分だと思う。
まだ試していないことがあるなら、それは、今の人生に残っている余白。
大きく変わらなくてもいい。
誰かより優れていなくてもいい。
過去の自分を超えなくてもいい。
これからの自分が今日の自分よりも良くなっていればそれでいいんじゃないかな。
時間は、思っているより早く過ぎる。
だからこそ、
「落ち着いたら」「来週から」そう思っていることがあるなら、
今できることが一つくらい、きっとある。






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