優しさには、少しだけ厳しさが混ざっている
- kakuwamasato
- 3月3日
- 読了時間: 3分
先日、映画『教場』を観に行った。
あの張りつめた空気。
静かな圧。
そして、感情をほとんど表に出さない教官。
正直、ほとんどの人が「冷たい人だな」と思うんじゃないか。
でも物語が進んで、その背景や覚悟を知ったときに気づく。
あれは冷たさじゃない。
覚悟の形なんだと。
守るための厳しさ。
未来を背負う責任の重さ。
だからこそ、あの人は優しいんだと思った。
そこでふと考えた。
今まで自分が出会ってきた「優しい人」って、どんな人だっただろうか。
振り返ると、ちゃんと厳しさを持っていた人たちだった気がする。
「大丈夫だよ」だけじゃなく、「それは違うよ」とも言ってくれた人。
その瞬間は正直しんどい。
ムッとすることもあるし、理解できないこともある。
でも時間が経って、自分の見える景色が変わったときに思う。
「ああ、だからあのとき言ってくれてたんだな」って。
あれは感情をぶつけられていたんじゃなく、未来を渡されていたんだと気づく。
もちろん誤解してほしくないのは、厳しければいいとか、
暴力が許されるとか、そういう話じゃない。
そこはまったく別の話。
ただ、伝え方や表現の仕方が難しくなっただけで、
“その人の未来を思って言う”
という本質は、昔も今も変わらない気がしている。
子どもが道路で遊んでいて、車が来そうになったら
「危ない、あっちで遊びなさい」
と言う親を見て、変な人だとは思わない。
それだけ大事にしていると分かるから。
僕の若かった頃は、
今で言うパワハラみたいな空気が当たり前のようにあった。
受け皿がなくても、強制的に注がれる時代。
正直きついこともあった。
でも今は違う。
だからこそ、教える側だけじゃなく、
教わる側も器を出さないとなかなか育たない時代になった気がする。
どちらが良い悪いではなく、構造が変わっただけ。
だから今は、繋がりや関係性がより重要になった。
この人が自分の未来を考えてくれているとちゃんと分かる関係性。
そこがあれば、少しの厳しさは“優しさ”になる。
なければ、ただの攻撃になる。
難しい時代だと思う。
でもだからこそ、目を背けずに人と関わり、
ぶつかりながら成長していく楽しさを感じてほしいなと思う。
僕もまだ途中。
振り返れば、甘い言葉よりも、少し痛みを伴った言葉の方が今の自分をつくっている。
優しさには、少しだけ厳しさが混ざっているのかもしれない。
……とはいえ、教場の現場はもう僕には厳しすぎるけど。笑
無理なものは無理。
それもまた、自分を守る大人の選択。
最後に
キムタクかっこいいから映画もみてね





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