下道を選ぶ人の景色
- kakuwamasato
- 2025年12月16日
- 読了時間: 2分
ユニークって、派手な色を足すことじゃなくて、
**余計な色を塗らずに残った“地の色”**みたいなものだと思う。
同じ景色を見ていても、ある人は全体を眺め、ある人は端のほころびに目がいく。
どちらが正しいわけでもないのに、多数派の見方だけが「普通」になってしまう。
ユニークな人は、人より感度のつまみが少し違うだけ。
音量が大きいわけでも、音痴なわけでもなく、チューニングがずれているだけ。
でも世の中はそのズレを、「変わってる」「めんどくさい」「空気読めない」とラベル付けしてしまう。
本当は逆で、空気を読めないんじゃなくて、空気をそのまま飲み込まないだけなのに。
例えるなら、みんなが高速道路を走っているときに、一人だけ下道を選ぶ人。
到着は少し遅れるかもしれないけど、途中で見える景色はまったく違う。
個性や自分らしさって、「私はこうです!」と掲げる旗じゃなくて、
歩き方や立ち止まり方に、いつの間にかにじんでいるもの。
だから安全じゃない場所では出てこない。
すぐに正解を求められたり、違いを減点される場所では、人はみんな似た顔になる。
静かで、穏やかで、波風を立てない選択をしている人も、実は内側では、「これは違う」と何度も自分と対話している。
それは、柔らかいけど折れない竹みたいな芯。
石みたいに硬くなくていい。
声を荒げなくてもいい。
しなやかに立ち続けること自体が、強さ。
ユニークな人の要素にみんなが気づけたら、違いは「怖いもの」じゃなく「世界の解像度を上げるパーツ」になる。
そうなったとき、偏見は減って、個性は競うものじゃなく、ただ“そこにあるもの”になる。
派手じゃないけど、確かにある。
それはそれで、ちゃんと芯がある。






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