「感情も、使い方次第」
- kakuwamasato
- 1 日前
- 読了時間: 2分
使い方の話。道具も、感情も。
何事も、使い方って大事だと思ってる。
美容師だったらハサミ。
料理人だったら包丁。
身近なものだと車もそう。
安全に使えば便利だけど、使い方を間違えた瞬間、危険なものになる。
飛行機なんて、もっとわかりやすい。
高度な免許も技術も必要で、たくさんの命を預かる乗り物。
どれだけ性能が良くても、操縦する人の判断がズレていたら、安心なんて成立しない。
結局、危ないのは道具そのものじゃなくて、どう使うかなんだと思う。
で、今日ほんとに話したいのはここから。
これはモノの話じゃなくて、感情も同じだと思ってる。
楽しい、悲しい、嬉しい、苦しい。不安、緊張、安心。
全部細かく分けるとややこしいから、ここではかなり雑に、二つだけに分ける。
快楽か、痛みか。
この視点で考えると、痛みを知っているから快楽を知れる、って見方もできるし、
逆に、痛みを避けて安全な道だけを選んでいたら、快楽にはなかなか辿り着けないって見方もできる。
挑戦の前の不安。
一歩踏み出す前の緊張。
失敗したときの苦しさ。
正直、どれも気持ちいいものじゃない。
でも、ここで一つはっきりしてることがある。
痛みを避けても、不安や緊張がなくなるわけじゃない。
挑戦しなければ、失敗する痛みは減るかもしれない。
でもその代わりに、
「このままでいいのかな」「本当はやれたんじゃないか」
そんな不安が、静かに残る。
何もしない選択は、安心を選んでいるようで、形を変えた痛みを抱えることも多い。
不安や緊張って、行動する人だけが感じる特別なものじゃない。
避けても、待っても、ちゃんとそこに居座る。
だから結局、
痛みをゼロにする生き方じゃなくて、どの痛みを引き受けるかを選んでいるだけなんだと思う。
前に進む痛みか、立ち止まる痛みか。
痛みも、快楽も、それ自体が悪いわけじゃない。
ハサミや包丁と同じで、感情もただの道具みたいなもの。
振り回されれば傷つくし、ちゃんと扱えれば、前に進む力になる。
どう感じるかより、どう捉えるか。
どう捉えるかより、どう向き合って、どう付き合っていくか。
痛みも快楽も、悪いものじゃない。それは全部、自分の使い方次第。






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