「〇〇すぎるよね」と言われたときに思うこと
- kakuwamasato
- 1月15日
- 読了時間: 2分
リアルでもエンタメでもいろんな場面で使われる
「真面目すぎるよね」
「優しすぎるんじゃない?」
たぶん、言った側に深い意味はない。
会話の流れで、軽く貼られるラベルみたいなもの。
でも、言われた側は少し立ち止まる。
それって直したほうがいいのかな。
欠点ってことなのかな。
不思議なのは、「すぎる」という言葉がついた瞬間、本来は長所だったはずのものまで、
急に扱いづらい性格みたいに見えてくるところだ。
真面目なことも、優しいことも、考えすぎることも、それ自体は悪いことじゃない。
ただ正直に言えば、それが原因で行き詰まったり、自分が苦しくなる場面があるのも事実だと思う。
じゃあ「明日からちゃらんぽらんに生きよう」って切り替えられるかというと、そんな簡単な話でもない。
無理に変わろうとしても難しいし、仮に変われたとしても、今度は別の違和感や問題が生まれそうな気がする。
だから最近思うのは、大切なのは性格を変えることじゃなくて、
自分をちゃんと認識することなんじゃないか、ということ。
「あ、今、真面目さが裏目に出てるな」
「あ、優しさで自分を後回しにしてるな」
そうやって気づけるだけでいい。
受け入れるって、開き直ることでも、諦めることでもなくて、自分の取扱説明書を知ることに近い。
真面目すぎる自分は、追い込みやすい。
優しすぎる自分は、我慢しやすい。
それが分かっていれば、少し早めに休んだり、一歩引いたりできる。
誰かの基準で貼られた「すぎる」に自分を当てはめすぎなくていい。
別に、前向きになろうとか、人生を好転させようとか、そういう話をしたいわけじゃない。
ただ、「真面目すぎる自分」や「優しすぎる自分」を敵にしないでいられたら、それで十分なんじゃないかと思う。
誰かに言われた「〇〇すぎる」をそのまま直す必要はない。
今日は少し疲れやすい自分だな、とか今は余裕がないな、とかそれくらいの距離感でいい。
性格を変えなくても、生き方はほんの少し楽になる。
少なくとも、自分で自分を追い詰めなくて済む。
今のところ、それだけで十分だと思っている。
この子達は猫すぎる






コメント